最近、パワハラやセクハラという言葉をよく耳にするようになりました。職場や学校で起こる問題だけでなく、政治家や芸能人などの有名人も関わっていることが多くあります。パワハラやセクハラは被害者にとって大きな苦痛や不利益をもたらすだけでなく、加害者にとっても法的な責任や社会的な信用の失墜を招く可能性があります。しかし、パワハラやセクハラの定義や基準は曖昧であり、どこからがそれにあたるのか判断するのは難しいことも多いです。そこで、私は世界的な映画監督である押井守さんが出版した人生相談本『 押井守の人生のツボ 2.0 』(構成/インタビュアー:渡辺麻紀)を読んでみました。この本では、押井さんがさまざまな質問に答えており、その中でパワハラやセクハラについても言及しています。押井さんの見解は一般的なものとは異なるかもしれませんが、私は彼の考え方に共感する部分もありましたし、参考になる部分もありました。この感想文では、押井さんの主張を紹介しながら、私自身の意見や感想を述べたいと思います。
2. 押井守監督の主張
押井さんは、パワハラやセクハラの線引きは明確ではなく、人間関係や信頼関係によって変わると主張しています。彼は自分の業界では昔からパワハラやセクハラが横行していたが、それでも自分は師匠や先達を尊敬していたと語っています。彼は、自分の師匠である鳥海永行さんが怒り始めたら2時間は止まらなかったというエピソードを紹介しながら、怒るためのエネルギーは相手に対する愛情の表れであり、信頼関係があれば問題にはならないと言っています。また、彼はパワハラやセクハラの概念はアメリカから輸入されたものであり、日本の社会には合わないと考えています。彼は日本ではみんなと仲良くすることが重要であり、そのためには根回しなどのコミュニケーションが必要だと言っています。彼はパワハラやセクハラに対処するには、自分で信頼関係を築くことから始めるべきだとアドバイスしています。
3. 私の意見と感想
私は押井さんの主張に一理あると思います。確かにパワハラやセクハラの線引きは曖昧であり、人間関係や信頼関係によって変わることもあるでしょう。例えば、同僚や友人から冗談で言われることが上司や知らない人から言われると不快に感じることもあります。また、パワハラやセクハラの概念はアメリカから輸入されたものであり、日本の社会には合わないという指摘も一面的な真実だと思います。アメリカは個人主義的で契約社会的な価値観を持っており、日本は集団主義的で和を重んじる価値観を持っています。そのため、パワハラやセクハラに対する感覚や対応も異なる可能性があります。さらに、押井さんが言うように、日本では根回しなどのコミュニケーションが必要だということも理解できます。日本では上下関係や年功序列などが強く影響しており、直接的な意見表明や反論が難しい場合もあります。そのため、事前に相手の気持ちや立場を汲み取ったり、周囲の同意を得たりすることが重要だと思います。
しかし、私は押井さんの主張に全面的に賛成するわけではありません。私はパワハラやセクハラの線引きが曖昧だからといって、それを許容することはできません。私はパワハラやセクハラは被害者にとって大きな苦痛や不利益をもたらすだけでなく、加害者にとっても法的な責任や社会的な信用の失墜を招く可能性があると考えています。私はパワハラやセクハラは人間の尊厳や権利を侵害する行為であり、どんな人間関係や信頼関係があっても正当化できないと思います。例えば、押井さんが紹介した鳥海永行さんのように、2時間も怒鳴りつけたりすることは、相手に対する愛情の表れではなく、暴力的な支配の表れだと私は感じます。また、押井さんが言うように、パワハラやセクハラの概念はアメリカから輸入されたものであるかもしれませんが、それだけでは日本の社会には合わないという理由にはならないと思います。私はパワハラやセクハラの概念は普遍的な人権や倫理の観点から生まれたものであり、日本の社会にも適用されるべきだと思います。さらに、押井さんが言うように、日本では根回しなどのコミュニケーションが必要だということは理解できますが、それだけではパワハラやセクハラを防ぐことはできないと思います。私はパワハラやセクハラを防ぐためには、根回し以外にも、明確なルールやガイドラインの策定や周知、教育や研修の実施、相談窓口や報告制度の整備などが必要だと思います。
4. おわりに
以上が私の感想文です。押井守さんの人生相談本を読んでみて、パワハラやセクハラについて考える機会を得ました。押井さんの主張に一理あると思う部分もありましたし、参考になる部分もありました。しかし、私は押井さんの主張に全面的に賛成するわけではありません。私はパワハラやセクハラは人間の尊厳や権利を侵害する行為であり、どんな人間関係や信頼関係があっても正当化できないと思います。私はパワハラやセクハラを防ぐためには、根回し以外にもさまざまな対策が必要だと思います。パワハラやセクハラは社会的な問題であり、個人だけで解決することはできません。私たちはみんなで協力して、パワハラやセクハラのない社会を目指すべきだと思います。